2010年08月11日
部活動日誌 おまけ【1】 2009年12月25日
今までの日誌で、書こうと思っていたけど抜けていた部分を書こうと思います。
ちょっとした思い出話です。ある意味補完?
今回は去年の12月25日、ウィンザー町田店・八王子店合同企画の高校生対象講習会での事を書こうと思います。
暑い夏に冬の思い出話になりますがw
その練習会は高校生を対象にした練習会で、私は数日前にや
る気のありそうな部員数名をメールで誘ったのですが全員返信すらありませんでした(笑
ぶっちゃけると返事を期待していなかったかもしれない。
その頃の自分はなんかヤケになっていたような気がする。
リベンジを誓って挑んだ一年ぶりの川崎ジュニアで惨敗したり、 なんなりでもう意固地だったというか、強い人達との差を少しでも縮めようと部活終了後、部室で皆が談笑してるのを尻目に一人で薄暗い学校でひたすらランニングしていたような頃でした。
走った後は身体の中が暑くて肌が冷たいとかいう、よくわからない感じだった。
その日の自分もヤケだった。
会場行きのバス乗り場に並ぶと、団体で来てる学生ばかりなんですよ。
あぁ、やっぱりと思いましたよ。
そして、自分みたいに一人で参加するような人は極少数というか、ほぼいないということも分かりました。
どうすんのよこれ…って思った。
練習会となると、やはり最初のウォーミングアップは二人組になるだろう。
俺は一人残って初っぱなから練習会から浮く運命なのか…と憂鬱な気分になりながら会場に向かった。
会場に着くとやはり皆学校ごとに2~3人以上で固まって待機していた。
妬ましかった。
チームでお揃いのウェア、ウィンドブレーカー。
みんなで行く遠征はさぞ盛り上がるであろう。
背中に校名の入ったウィンドブレーカーには特に憧れていた。
中学時代は一応ソフトテニスだったのだが、途中から入ったのでユニフォームもウィンドブレーカーも皆とは違っていた。
ウィンドブレーカーは冬の合宿前に自分で買った。
色は同じだったがデザインは微妙に違い、メーカーも別のところだった。 今も使っている。
高校では絶対にユニフォームもウィンドブレーカーも揃えようと思って、一年生の時にユニフォームは揃えたが、ウィンドブレーカーはとうとう作らずじまいであった。
いつの間にか揃える気が失せた。
ちなみに、ウェアやウィンドブレーカーに校名を入れると追加料金が発生するので、作ろうと思ってる人は注意しよう。
多人数で一気に注文するのがベストだ。
時期によっては割引してくれる店もある。
また、アシックスにはウェアのデザイン(主にカラー)を自由に決める事ができるサービスがある。
気に入ったウェアが決まらない方はご検討してみてはいかがだろうか。
値は張るが、5人以上なら少しは安くなると思う。
ちなみに自分達の代でもアシックスのサービスを利用し、4人で作った。
校名も入れてもらい、4人という少人数で作ったので結構高かった。
作った頃、1年生は4人しかいなかった。
余談だが、当初は赤の部分はそのままで、黒の部分のサイドはオレンジ、脇の部分は白というデザインを考案したのだが、皆が派手すぎて恥ずかしいというので赤と黒に落ち着いた。
このデザインだったら他のメーカーのでもう少し安く抑えられたのではないかと、作った後に4人は少し思った。
まあ何事も経験ですよね。
大分話がそれてしまったので戻そう。
しばらく待っていると会場の方がコートに入ってボレーボレーなどのウォーミングアップをしていいと告知した。
私は一人で待機している人を見つけた。
話しかけるなら今だ。
そう思ってシャイな私は彼に近づき、ウォーミングアップしませんかと誘った。
彼は背中に校名の入ったウィンドブレーカーを着ていた。
彼は私の誘いを快く受けてくれた。
やはり彼も一人で来た口であった。
おそらくその時コートに入ってウォーミングアップを始めたのは、待機していた中で私たちが一番最初だった。
私たちがミニストロークを始めると、待機していた人たちもコートに入り始めた。
その後、練習開始直前までは会話が続かなくて焦った。
が、そんな焦りは練習をしていく中で些細なものとなっていった。
初めの練習はキャッチボールやボレーボレー。
身体を使いながらほぐしていく…というやつだったか。
会話なんてものは自然と増えていったが、私は何よりも、色んな人と一緒にテニスをしたり、彼とダブルスを組んでプレーしたりするのが楽しかった。
この時は久しぶりにテニスを楽しんでいたと思う。
帰りのバスでは相当熱く語りこんだ。
自分なんかテンションがハイだったんじゃないか。
熱かった。
今、12月の日記を見てみると文が酷い。
ヤケというかあてつけというか、それにしても、これだけやってどうして三つの大会全部惨敗してしまっていたのだろうか。
テニスの上達よりも、何か悪い方向に進んでしまっていたんじゃないかと疑ってしまう。
でもこの練習会の時は、初めの部分以外はヤケやあてつけで動いてるなんて事は無かったと思う。
楽しかった。
あれからもう半年以上も経っている。
最後に駅での別れ際に「県大会で会おう」と互いにエールを送りあったのだが、結局私は県大会の本戦に行く事はできなかった。
あれ以来、彼とは未だに会っていない。
知っているのは校名のみである。
ちなみにプロフィール写真のEXO3グラに貼ってある飛ばし屋のシールは、この練習会の時に参加賞という事で貰ったものです。
ちょっとした思い出話です。ある意味補完?
今回は去年の12月25日、ウィンザー町田店・八王子店合同企画の高校生対象講習会での事を書こうと思います。
暑い夏に冬の思い出話になりますがw
その練習会は高校生を対象にした練習会で、私は数日前にや
る気のありそうな部員数名をメールで誘ったのですが全員返信すらありませんでした(笑
ぶっちゃけると返事を期待していなかったかもしれない。
その頃の自分はなんかヤケになっていたような気がする。
リベンジを誓って挑んだ一年ぶりの川崎ジュニアで惨敗したり、 なんなりでもう意固地だったというか、強い人達との差を少しでも縮めようと部活終了後、部室で皆が談笑してるのを尻目に一人で薄暗い学校でひたすらランニングしていたような頃でした。
走った後は身体の中が暑くて肌が冷たいとかいう、よくわからない感じだった。
その日の自分もヤケだった。
会場行きのバス乗り場に並ぶと、団体で来てる学生ばかりなんですよ。
あぁ、やっぱりと思いましたよ。
そして、自分みたいに一人で参加するような人は極少数というか、ほぼいないということも分かりました。
どうすんのよこれ…って思った。
練習会となると、やはり最初のウォーミングアップは二人組になるだろう。
俺は一人残って初っぱなから練習会から浮く運命なのか…と憂鬱な気分になりながら会場に向かった。
会場に着くとやはり皆学校ごとに2~3人以上で固まって待機していた。
妬ましかった。
チームでお揃いのウェア、ウィンドブレーカー。
みんなで行く遠征はさぞ盛り上がるであろう。
背中に校名の入ったウィンドブレーカーには特に憧れていた。
中学時代は一応ソフトテニスだったのだが、途中から入ったのでユニフォームもウィンドブレーカーも皆とは違っていた。
ウィンドブレーカーは冬の合宿前に自分で買った。
色は同じだったがデザインは微妙に違い、メーカーも別のところだった。 今も使っている。
高校では絶対にユニフォームもウィンドブレーカーも揃えようと思って、一年生の時にユニフォームは揃えたが、ウィンドブレーカーはとうとう作らずじまいであった。
いつの間にか揃える気が失せた。
ちなみに、ウェアやウィンドブレーカーに校名を入れると追加料金が発生するので、作ろうと思ってる人は注意しよう。
多人数で一気に注文するのがベストだ。
時期によっては割引してくれる店もある。
また、アシックスにはウェアのデザイン(主にカラー)を自由に決める事ができるサービスがある。
気に入ったウェアが決まらない方はご検討してみてはいかがだろうか。
値は張るが、5人以上なら少しは安くなると思う。
ちなみに自分達の代でもアシックスのサービスを利用し、4人で作った。
校名も入れてもらい、4人という少人数で作ったので結構高かった。
作った頃、1年生は4人しかいなかった。
余談だが、当初は赤の部分はそのままで、黒の部分のサイドはオレンジ、脇の部分は白というデザインを考案したのだが、皆が派手すぎて恥ずかしいというので赤と黒に落ち着いた。
このデザインだったら他のメーカーのでもう少し安く抑えられたのではないかと、作った後に4人は少し思った。
まあ何事も経験ですよね。
大分話がそれてしまったので戻そう。
しばらく待っていると会場の方がコートに入ってボレーボレーなどのウォーミングアップをしていいと告知した。
私は一人で待機している人を見つけた。
話しかけるなら今だ。
そう思ってシャイな私は彼に近づき、ウォーミングアップしませんかと誘った。
彼は背中に校名の入ったウィンドブレーカーを着ていた。
彼は私の誘いを快く受けてくれた。
やはり彼も一人で来た口であった。
おそらくその時コートに入ってウォーミングアップを始めたのは、待機していた中で私たちが一番最初だった。
私たちがミニストロークを始めると、待機していた人たちもコートに入り始めた。
その後、練習開始直前までは会話が続かなくて焦った。
が、そんな焦りは練習をしていく中で些細なものとなっていった。
初めの練習はキャッチボールやボレーボレー。
身体を使いながらほぐしていく…というやつだったか。
会話なんてものは自然と増えていったが、私は何よりも、色んな人と一緒にテニスをしたり、彼とダブルスを組んでプレーしたりするのが楽しかった。
この時は久しぶりにテニスを楽しんでいたと思う。
帰りのバスでは相当熱く語りこんだ。
自分なんかテンションがハイだったんじゃないか。
熱かった。
今、12月の日記を見てみると文が酷い。
ヤケというかあてつけというか、それにしても、これだけやってどうして三つの大会全部惨敗してしまっていたのだろうか。
テニスの上達よりも、何か悪い方向に進んでしまっていたんじゃないかと疑ってしまう。
でもこの練習会の時は、初めの部分以外はヤケやあてつけで動いてるなんて事は無かったと思う。
楽しかった。
あれからもう半年以上も経っている。
最後に駅での別れ際に「県大会で会おう」と互いにエールを送りあったのだが、結局私は県大会の本戦に行く事はできなかった。
あれ以来、彼とは未だに会っていない。
知っているのは校名のみである。
ちなみにプロフィール写真のEXO3グラに貼ってある飛ばし屋のシールは、この練習会の時に参加賞という事で貰ったものです。